かにみそなまこをつまむ。

40代男子の日常、昔の思い出などについて、現在休載中

 最近夢をあまり見なくなった。寝てるときの夢ではなく、将来の夢。別に良いことでも、悪いことでもない。40代なら当たり前だ。

 かつて、私にとっての夢は、ほとんど現実逃避の手段として存在していた。夢想する、に近い。10代、20代のころ、夢に夢見てた。夢に夢中で、現実逃避するがあまり、現実に追い立てられている部分があった。夢が現実を圧迫し、圧迫された現実から逃れようとさらに夢を見る、という悪循環だった。

 30代に入って、現実をそれなりに見るようになった。夢に蓋をして、なるべく現実に対して、誠実に歩いた。疲れていると、夢がひょっこりと現れた。急に顔を出してきて、一度考えはじめたら、あっという間に、むくむくと膨らんでいく。それなりに現実を見るようになっているから、逃避の手段の夢であっても、この非現実さをどうすれば実現できるのか、とかいった具合に考える。でも現実から逃げているだけだった。

 40代の今、もう蓋をせずとも、夢は現れなくなった。目の前には現実だけが広がっている。

 でも、時折、むなしくなる。俺はどこに向かってるのだろう、なんて考える私がいる。現実の延長上にないような夢は見たくないけど、現実の延長線のどこかにある夢が見たい。これも、疲れていて、逃避したい、ということなのだろうか。

 ちがう。

 ワクワクしたいだけだ。

 退屈で、満足していないだけだ。

 有名になりたいとか、もっと楽がしたいとか、そうじゃない。夢とかいう名前の、物みたいな、事みたいな、一つの何かを手に入れたいわけじゃない。夢なんていうゴールは要らない。ゴールなら、仕事でいつも追いかけている。欲しいのはゴールじゃなくて、かつて夢に夢見ていたときに感じていた胸の高鳴りだ。

 むなしいなら、ワクワクする方に行こう。

 顔をあげて、ワクワクする方を目指そう。真夜中、そんなふうに40代の俺は考えた。