かにみそなまこをつまむ。

40代男子の日常、昔の思い出などについて、現在休載中

歩き遍路の思い出⑨ 森さん

 冬に歩き遍路をする人は少ないそうだ。春、秋が多いらしい。もっともだと思う。夏は暑く、冬は寒い。

 春、秋にどれくらいの人がお遍路をするのか分からないから何とも言えないが、たしかに、自分以外のお遍路さんとそんなに出会わなかった。でも、全く、ではなかった。善根宿や公園なんかで、いっしょになることがあった。

 雨が降っていた夜のこと、屋根がついていて四方が塞がっているバス停を見つけたので、そこで泊まることにした。もう暗かったし、雨の中テントを立てるのがめんどくさかった。中に入って、ベンチの下の、むき出しのコンクリートの上にマットを敷き、寝袋を広げて横になった。

 すると、しばらくして、白装束を着てお遍路の恰好をしたおじさんが、ガラガラとドアを開けて入ってきた。

「俺もここで寝ていい?」

「あーいいですよ。どうぞ。」

 荷物を置いて、私と同じように寝床を作り始めた。背が高く、バス停の中は窮屈そうだった。白髪の割に、顔は若そうで、40代くらいかなと思った。

 2畳ほどの空間だから、相手の息遣いまではっきりと聞こえる。おじさんが寝床を作り終えて、動きが止むと、どうにも気まずくなった。さっさと寝ようとも思ったが、眠れもしない。

「おじさんもお遍路ですか。」

「あーうん。まあ、見たら分かるやろう。」

「まあ、そうですね。」

「・・・。」

「どちらから来られたんですか。」

「・・・。」

 バス停内に沈黙が充満する。怖い。

「あんなあ・・・自分、お遍路なんて、みんないろいろ抱えてるからするんやろ。お互い詮索ごっこは止めようや。」

 説教された。

 別に、詮索する気はなく、気まずかっただけなのだが、妙に説得力のある説教だった。

 ひょっとすると犯罪者なのかもしれないなとも思ったが、もう気まずさは感じなくなっていて、その後はぐっすり眠れた。次の日の朝、早々におじさんは去っていた。別れ際にさよならの言葉くらいは交わした気がする。

 

 一方で、よく話かけてくるお遍路さんもいた。縁があるというのだろうか、森さん(仮名)とは、しょっちゅう出くわした。歩いているときに出会うこともあったし、善根宿でも数回いっしょに寝た。

 森さんは、白髪のはげ頭で、白髭を伸ばしている。60歳くらいの背の低いじいさんだ。はじめて善根宿でいっしょになったとき、自分のことをよくしゃべってくれた。北関東でお寺を継ぐことになったため、高野山で修行をしているという。お遍路はその修行の一環なのだとか。

 はあ、将来のお坊さんなのか、さぞかし志が高いんだろうと思っていたが、いろいろ話を聞いていると、けっこう俗にまみれてる。寺の経営は金儲けだとか、継ぐ寺は観光客であふれる寺にするんだとか、力説してくる。もともと商社マンだったらしく、東南アジアの支店の偉いさんとして長い間、仕事をしていたそうだ。時折、日本人は冷たい、現地の人たちは温かかったと嘆いていた。

 歩きはじめて6日目のこと。21番目の寺が山の上にあって、私は、またしても山登りに手こずっていた。足のマメをつぶしてから、足はだいぶ楽になっていたが、それでも痛む。はあはあ息を切らしながら坂を上っていると、道の先で座り込んでいる森さんの姿が見えた。のんびり、みかんを食べている。おそらくお接待でもらったやつにちがいない。

 なぜか、急に腹が立ってきた。

 同時に負けたくないという気持ちも湧いてきて、無理やりペースをあげた。ぜえぜえ言っていたが、森さんの近くまで来ると、息を止め、ポーカーフェイスを作った。

「あ、森さん、お先です~。」

 今気づいた、という風を装って、涼しい顔で声をかけ、一気に追い越した。

 追い越したら、もうペースを下げるわけにはいかない。追いつかれたらバカみたいだからだ。結局、私は寺に着くまで、上り坂をハイスピードで歩き続けた。本当はもっとゆっくり歩きたかった。さらに言えば、立ち止まって休憩したかった。

 当時、私は20代の半ば。60のじいさん相手に何をムキになっているのか、と思うかもしれないが、元ニートで始終だらしない生活を送っていたというハンデを考えると、5分5分だ。

 ぜえぜえ息を吐きながら、なんとか目的の寺に着いた。後ろから追手の気配もしない。もうずいぶん突き放したろう。読経をすませて、そろそろ次の寺に行こうか、というころになっても、森さんの姿は見えなかった。「ふ、完全に勝ったな。」などと、むなしい勝鬨を心の中であげていた私は、少し遅い青春の中にいたのかもしれない。