かにみそなまこをつまむ。

40代男子の日常、昔の思い出などについて、現在休載中

歩き遍路の思い出⑧ 足が痛い

 遍路3日目、はじめて山を登った。12番目のお寺、焼山寺は山の上にあったのだ。道楽を極めた元ニートが、重い荷物を背負って山を登る。が、意外としんどくなかった。焼山寺はたいへんだぞ、とすれちがう人々に散々聞かされていて、気合が入りまくっていたからだ。お寺に着いたとき、まあ、しんどかったけど、これくらいならいけるぞ、と思った。この旅で、はじめての山登りだったから、ということもあるだろう。この後、何度も山を登ったが、だんだんしんどさが分かってきて、嫌になっていった。

 山登りの後から、足の裏が痛くなりだした。はじめはあまり気にしていなかった。なんせ1日30キロ以上も歩いている。痛くなって当然だ、と無視していた。

 でも、どんどん痛くなってきて、次の日には、もう無視できないくらいになっていた。地面に足をつけるたび、足の裏がひりひりする。痛すぎる。何をどうすればいいか、分からなかった。とにかく次のお寺に向かって歩くしかない。立ち止まったら負けだとか自分を鼓舞して歩き続けた。ちょっと前までは、むしろ働いたら負けだったのに。その日は何とか、夜寝床を見つけるまで、歩き続けた。

 翌々日も、もちろん足が痛かった。朝から痛かった。地面に足の裏をつけていなくても痛かった。だが、私に歩く以外の選択肢はない。歩くのをやめたら、たかだか5日で、この旅が終わってしまう。これほどまでに痛いのだから、足にものすごく異常があるんじゃないかと思っていたのだ。なるべく足は見ないようにしていた。見るのが怖かった。一大決心をして、自分を変えようとやってきたのに、挫折するのだけは絶対に嫌だった。

 足の裏を地面につけると思いっきり痛むので、なるべく足の側面を地面につけて歩くようにした。生まれたての子馬のようにぷるぷるしながら、歩いた。知らない人からすれば、変質者に見えたかもしれない。

 昼すぎまで歩いたが、とうとう痛さで、どうにも動けなくなった。山道の脇に座って、痛みが引かないか、しばらく待っていたが、収まる気配はない。どうしようもなくなった。あきらめる気持ちで、自分の足を見ることにした。

 とりかえしのつかないケガだったらどうしよう。

 靴を脱ぎ、靴下を脱いで、足の裏を見て、驚いた。足の裏の半分が水膨れでふくれあがっている。マメだった。これまで見たことがない、それはもう、巨大なマメだった。

 驚くと同時にほっとした。

 ただのマメだったのだ。旅を中断せざるを得ないような、たいへんなケガでもなんでもない。ただのマメで、こんなにも悩んでいたのか。本当に私はアホだ。

 水膨れに穴をあけて、中の汁を出したら、とたんに楽になった。立ち上がって、地面に足の裏をつけた。痛いのは痛かったが、全然耐えられる痛さだ。歩きはじめると、どんどん元気になってきた。痛みがましになったうれしさもあったが、これでリタイアせずに、お遍路を続けられるという喜びでいっぱいだった。