かにみそなまこをつまむ。

40代男子の日常、昔の思い出などについて、現在休載中

お墓参り

 春分の日、お彼岸と言うことで、朝から家族でお墓参りに出かけた。車で10分ほどの墓地に、祖父と祖母のお墓がある。

 私はお墓に対して、怖いイメージがない。幽霊とか骸骨。お墓を怖いものとして捉えるものにはたくさん触れてきたはずなのに。衝撃的な人の死にそこまで出会っていない幸運な人生を送っているからかもしれない。聞いてみたら、妻も同じようだ。みな、そうなのだろうか。

 かといって、そこまでお墓参りに対して、思い入れがあるわけでもない。ただなんとなく、行うべき習慣だと思っているようで、春分の日、お盆、秋分の日、大晦日の年に4回、気づくと毎年きちんと行っている。思い入れはないが、お墓に行って、掃除をして、お経を唱えると、気持ちがいいな、と思う。

 そんな私や、毎年嫌がらずに付き合ってくれる妻の後ろ姿を見ているせいか、娘二人は、お墓に来ると、毎度かなり熱心に掃除をしてくれる。

 これはもう、すごくいいことなのだが、いささか行き過ぎていて、いや何もそこまで頑張らなくても・・・と思ってしまうことがある。ちょっと贅沢な話だが。

 今日も娘たちは張り切っていた。道中の車の中で、長女が鼻をふくらませながら「墓石は全部あたしが拭くから!」と何度も宣言する。それだけなら全然いいのだが、それを聞いていた次女が「じゃあ、あたちのすることがなくなるやんかー」と本気で泣き出す。もう、なんなんだ、こいつらは。「じゃあ、次女ちゃんは、墓前の湯呑にお水を入れる役目をしてもらおうかな。」と私がなぐさめても、「そんなん簡単すぎるやん!あたちはどうして、めんどくさいことができないのー」と、ますますでかい声で泣き叫ぶ。「地面に落ちてるゴミを焼却炉まで持っていって、捨てるというのはどうかな。これは、はっきりいって、かなり難しいミッションだが。うーん、次女ちゃんにできるかどうか・・・。そもそも焼却炉は、お墓からかなり遠い位置にあるのだ。途中で迷子になることもあるだろうに。」深刻な面持ちで告げると、ようやく泣き止んで、えへへへと満足そうに笑った。やれやれ。

 お墓に着くと、長女は、それはもうすごい勢いで働きはじめた。お手伝いではなく、働くという言葉がふさわしい。しかし、何が彼女をそこまで駆り立てるのか、まったく分からない。次女とぞうきんを取り合って喧嘩をはじめたら嫌だな、と心配していたが、次女は車の中での話を覚えていたらしく、私にゴミをねだりにきた。

 私はまだ、お墓の周りのゴミを全部、拾い終えていなかった。「まだまだゴミが出てくるから、拾い終えるまで、待っていてほしい。」と言ったが、納得していない様子。私の手の中のゴミをじっと見つめてる。「行く?」と尋ねたら、こっくりうなずく。手の中の落ち葉やビニルの袋をわたすと、ぎゅっとにぎりしめて、一目散に走りだした。

 しばらくして、次女が走って帰ってきた。どうやら焼却炉に行って帰ってくる間、ずっと走っていたらしい。「おかえり。焼却炉の場所分かった?」「うん。」と言って、また小さな手を差し出した。「え、また行くの?まだこの後もゴミ出るよ。」「行く。」真剣なまなざしで私を見つめる。仕方なく、持っていた雑草やらを渡すと、また一目散に走り出した。

 なぜ、いちいち走るのか。

 この後、もう一回このようなやりとりがあった。結局、次女はお墓と焼却炉までの道のりを三往復したことになる、ダッシュで。もちろん次女が走り続けてる間、長女は長女で、せっせと石を拭き続けてる。はっきりいって大きな墓ではない。そこまで表面積は広くない。

 申し訳ないが、私と妻はとっくに飽きていた。だって、何もすることがないんだもの。「じゃ、そろそろ、終わりにして、お祈りしよっか。」というセリフを何度口にしたことか。

 何度目かの呼びかけのあとに、お祈りをした。お墓の前に4人並んでしゃがみ、手を合わせた。帰ろうとしたら、長女が「ご先祖様、寒そうだから、お墓にジャンバーをかけてあげてもいい?」と聞いてきた。

 なるほど、これまでの熱心さは、「かさこじぞう」に由来してたのか・・・。たしか小学2年の教科書に載っていた。「長女ちゃんの気持ちはお空に伝わってるから。」と説得したが、いまいち納得していないようだった。これから暖かくなってくるからジャンバー要らないんじゃない、と言うと、しぶしぶあきらめてくださった。

 私も妻も幸せものだ、という話です。