かにみそなまこをつまむ。

40代男子の日常、昔の思い出などについて、現在休載中

三輪山に登る①

 先日、家族で三輪山に登った。

 三輪山というのは、奈良県にある有名な山。大神神社のご神体である。だからすごく神聖な山である。

 最近暑くなってきたので、去年のように家族で山に登ってリフレッシュしたいなーと妻と話していた。ら、三輪山に登ってみようか、という話になった。わりと近くなのに、登ったことがない。神聖な山なので、登れないと思っていたのだ。実は登れるらしい。標高467mだから、娘たちと登るのにもちょうどいいくらいだ。週末、みんなで行こうと娘たちに話すと、すごく喜んでた。

 休みが来て、みんなで準備して、大神神社に出かけた。

 登山口は大神神社の左手にある摂社、狭井神社にあった。登るのにお金が要る。1人300円。4人分を受付に払った。

 お金を払ったら、登っていいのかなと思ってたら、そうではない。三輪山は神聖なので、登る前に、きちんと神社の人の話を聞かねばならない。

 登る人たちが一堂に集められ、説明がはじまった。

三輪山は神様の山なので、けっしてレジャー目的で登ってはいけません。これは登山ではありません。山に登って参拝する、登拝なのです。」

 ぎくっとして、妻の方を見ると、苦笑いしていた。思いっきりレジャー目的だった。

 話のあと、地図とたすき、白い紙切れを渡された。白い紙切れは人の形をしていて、陰陽師が使う式神のようだった。その紙切れで自分の肩をなでて、入り口の箱に納めてから山に入る。自分の身代わりということなのだろうか。なんだかすごく神秘的な儀式だと思った。

 神社の人の話と、神秘的な儀式のせいで、長女の表情には、すっかり敬虔の念が表われていた。神妙な面持ちで、「パパ、神様の山に登るんだね」などと言う。すまない、長女よ。無知だった私たちを許しておくれ。

 首からたすきをぶらさげて、地図を持って山に入った。

 期待した通り、山は気持ちがよかった。こと三輪山は、神様の山だけあって、手つかずで、自然が濃い。

 また、もらった地図もよかった。地図に1番から9番までのポイントが書かれてあって、それぞれのポイントには石柱が建てられている。子どもでも、地図のどこまで進んだのかがすぐに分かる。小1で、数字を覚え始めた次女が「次は3番」なんて楽しそうにしてた。レジャー目的ではいけないが、ウォークラリーのようで、わくわくするのだ。

 途中、降りてくる人と、たくさんすれ違った。

 中に、何人か裸足で歩いている人を見かけた。そういえば、三輪山は神様の家のようなものだから土足で登るのは失礼なのだとか、何かで聞いた気がする。

 長女がたずねたので、そのようなうろ覚えの知識を披露すると「私もやりたい!」と言い出した。

「じゃ、いっしょにやろっか。」

「やったー。」

 実は、私もちょっとやりたいなと思ってた。裸足で歩いたら、もっと気持ちがいいだろうな、と。

 立ち止まって、石の上に腰を下ろし、2人で靴と靴下を脱いだ。後から来た次女も「やりたい」と言い出して、同じように靴を脱いだ。次女の、さらに後から来た妻の方を見ると、「けっして私はまきこむなよ」という顔で私を見ていた。

 裸足になった敬虔な3人の信者たちが、再び神様の山を登りはじめる。

 はじめのうちは、足の裏に小石があたってちょっと痛かったが、慣れてくると全然気にならなくなった。やっぱり気持ちがいい。まるで裸で自然の中にいる気分だった。さらに五感が開かれていく感じがした。自分がサルのように思えてくる。確かにここは神様の家なのだ。(つづく)