奈良公園
先週、次女が鹿さんのいる公園に行きたいと言ってたので、今日(3/12)家族で奈良公園に出かけた。
久しぶりの奈良公園。JR奈良駅が様変わりしていて驚いた。なんか都会っぽくなっている。
天気もよくて、ぶらぶら散歩しているだけで気持ちがよかった。鹿のいるあたりまでのんびり歩いて、ベンチでぼーっとする。娘たちは鹿せんべいを手に持って、鹿を追いかけまわしていた。今日の鹿たちはあまり食欲がないのだ。食欲があるときは、逆に娘たちが追いかけまわされることになる。昼もすぎていたので、おそらく午前中の観光客から、すでに鹿せんべいをたっぷりいただいていたのだろう。
相変わらず奈良公園は外国人の観光客が多かった。いろんな国から来ているようだった。気づいたのが、タトゥーを入れている率の高さだ。外国ではタトゥーを入れるのが普通なのだろうか。日本と同じように、厳しい目で見られるところも多いと聞くが。と、そのとき、ふと思った。ひょっとすると、外国人といっても、日本という遠い遠い外国の島に行くような、挑戦心や行動力のあるワイルドなやつらだから、タトゥー率が高くなるのではないか、と。当たり前に、外国人がいっぱいいる、と思っていたが、一人一人にとってみれば、大旅行の最中なのだ。
なんだか、うらやましいなと思った。自分も旅に出たいと思った。見知らぬ土地を一日中歩き続けたい。そんな衝動がこみあげてきた。最近ブログで、歩き遍路の思い出を書きはじめたことも関係しているのだろうか。
娘たちや、妻や、仕事のことを忘れて、青空の下、私はひとりきりになっていた。なつかしい感覚で、大切な感覚だった。自分の生命力の根源と向き合っているような感覚。でも、今すぐ、何もかも投げ出して、旅に出ることが、その感覚を大切にすることではないな、とも思った。たとえ旅に出るとしても、手ぶらで走り出すわけじゃない。一人で計画を練って、道具を整理して、準備して、そこから始めるのだ。そんなことは日々の生活や仕事の中に無限に存在している。日常において、旅の心を持ち続けることが大事なのだと思った。
40代の私だが、まだまだ終わっていない。3月中旬というのに短パンとタンクトップ姿で、肩で風を切って歩く外国人のように、私もまだ旅の途中にいるのだ。
不安定で、ぜんぜん足りてない。
何もつかみとっていないじゃないか。