かにみそなまこをつまむ。

40代男子の日常、昔の思い出などについて、現在休載中

歩き遍路の思い出④ 遍路用品を買う

 はじまりの寺には、電車に乗っていったような記憶がある。霊山寺という名前のお寺だったはず。

 着くと、お寺の中に通してくれて、これからお遍路をはじめる人に向けて、住職さんがいろいろと話をしてくれた。何を話してくれたのか、全然覚えていない。が、話のあと、遍路用品がそろえられた売店に案内された。ここで道具をそろえていきないさい、と言われた。

 遍路の道具・・・。今考えれば、当然必要なもの、と思えるのだが、そのときの私は何も考えていなかったので、そんなんあったんか、またお金使うんか、と呆気にとられていた。ただ歩いて88の寺をまわればいいと思っていたのだ。

 白衣に杖、笠、数珠。

 お遍路は各寺の御朱印を集めてまわるというスタンプラリーのような側面もあるらしく、御朱印を押してもらう納経帳という冊子も要る。

 また、お寺を参拝する際、納めるお札や、そこで点す線香やロウソクが要る。お経を読まないといけないらしいので、お経が書いてある本も要る。

 あれやこれやと、作務衣を着た売店のおばさんに、すすめられるがまま、買っていく。が、買わされている感の方が強かった。大金をはたいて、キャンプ用品を買ったばかりだったので、お金を使うことにかなり不安があった。

 もちろん、向こうは、そんな私の不安など、察することはない。これからお遍路するなら、お遍路グッズ買うなんて当然でしょ、といった感じだ。あれも要るわよ、これも要るわよ、と満面の笑みで言われるたびに、私はびくびくしていた。何が本当に必要で、何が本当に必要でないのかが分からないから、断ろうにも断れないのだ。すすめられたら買うしかなかった。

 横で、住職さんが、ずっと見守ってくれていたので、どうか私の不安を察してください、と祈るような気持ちで視線を投げかけてみたが、この頭のはげたおっさんも、同じように、始終ニコニコと笑っているだけだった。

 全部で1万円ほどした。出発前からこんなに散財して大丈夫なのか。恐怖さえも感じはじめたそのとき、住職がおもむろに口を開いた。おお、ようやく私の不安を察してくれたのか。もう、そんなにすすめるのはよしなさい、とでも言ってくれるのだろうか。

「この地図も買っておいた方がいいですよ。」

 はげ頭が光っていた。

 恐るべし商魂。

 と、そのときは思ったのだが、このとき勧められたお遍路用の地図は本当に役立った。というか、この地図がなければ、お遍路そのものが成り立っていなかった気がする。本当に、私の方がバカだった。地図も持たずに、四国の寺を歩いて回ろうとしてたのだから。

 あのときは、集団で寄ってたかって、ぼったくられているような気がしていた。が、10数年経った今、考えてみると、ただの善意だったことが分かる。

 もちろん、結局使わなかったお遍路用品もあった。白衣や笠は、面倒なので、途中から全く身につけなくなった。でも、山登りも多い中で、杖は本当にありがたかったし、お寺にお参りするというのに、線香やロウソクを点さないのは無作法だったろうに。

 無知とは恐ろしいもんだ。心象風景が、現実世界に現れてしまうのだ。