かにみそなまこをつまむ。

40代男子の日常、昔の思い出などについて、現在休載中

歩き遍路の思い出⑲ ゴミ箱の青年

 次の日の朝、「出発する」と言うと、「雨が降ってるから、もう1日泊っていけ」とヒロシさんに言われた。ヒロシさんは朝からビールを飲んでた。黒川さんも「あー、ん、おったらええ」と言う。分かってるのか、分かっていないのか、よく分からない。少し考えたあと、まあゆっくりするのもいいかもしれないと思い、甘えることにした。

 目的に向かって歩き続ける毎日だったから、急にすることがなくなって、時間を持て余した。

 午前中は、ヒロシさんとしゃべったり、ゴロゴロしたりしてたが、どうにも暇で落ち着かない。お遍路に出る前の、実家でゴロゴロしていた感覚がよみがえってくると、急に罪悪感に襲われ、焦燥に駆られた。こんなことをしてる場合じゃない、動かないと。もちろん、歩きはじめたからといって、根本的にニートであるという事実は変わらない。が、目的に向かっているという安心感がある。

 昼になって、雨があがった。ヒロシさんに「次の寺に行きたい」と言ったら「自転車、貸したる」と返ってきた。なるほど、その手があったか。荷物を置いて、行って、また帰ってこよう。

 自転車を借りて、海岸沿いの道を走り出した。ずっと海が見えていた。断崖絶壁に波が打ちつけている。バックパックを背負っていないので、体が軽かった。

 速い!

 遠くの景色はじっとして動かないが、近くの木々や道路標識が、あっという間にすぎていく。自転車に乗って見る景色は、さわやかで、鬱陶しい気分を充分に晴らしてくれた。足摺岬の先端にある38番のお寺、金剛福寺。参拝をすましたあと、岬の遊歩道を自転車でうろうろした。太陽が差してきて、明るくなった。

 宿に戻ると、ヒロシさんが、ビールを飲みながら、マキを割っていた。「お風呂をわかしたる」らしい。申し訳ないので、私もいっしょに手伝った。火をおこすのが楽しかった。五右衛門風呂ではなく、普通の風呂釜だったが、マキでわかしたお湯はむちゃくちゃ熱くて、体がすごく温まった。

 その日の夜、黒川さんが自分の食べ物を分けてくれた。インスタントラーメンと、卵と、卵豆腐をもらった。食べ終わると、ヒロシさんの敷いてくれた布団に横たわった。3人で川の字になって寝る。

 「明日は行きますね。」と言うと、暗闇の中から「そうか」と小さな声が返ってきた。黒川さんはとっくに鼾をかいていた。

 3日目の朝、かなりゆっくりめに支度をして宿を出た。ヒロシさんが宿の前まで見送りにきてくれた。

 お礼を言って、歩き出そうとしたとき、何やらゴロゴロと引きずる音が聞こえてきて、ヒロシさんがふと、そちらの方を見る。若い青年が、カートの上に大きなゴミ箱をくくりつけ引っぱりながら歩いていた。

 白装束を着ているのでお遍路さんだと分かる。バックパックのかわりに、ゴミ箱を用意したのだ。あの中には、寝袋やテントがつまっているのだろう。

 ゴミ箱は真新しかった。どうやって旅をするか、考え抜いた挙句の結論が、あのゴミ箱なのだ。形は違えども、私のスリーシーズン用の寝袋も同じように考え抜いて、そうなった。冬用でいいのに、春、夏、秋用を選んだのは、旅の終わりが想像できなかったからだ。いつまでも、なるべく長く、旅の中で生活できるようにと、あのゴミ箱を選んだに違いない。年は、当時の私の少し上くらいだったろうか、眉間にしわが寄っていて、神経質そうな感じの青年だった。青年が宿の近くまで来ると、ヒロシさんがすかさず声をかけた。「どっから来たんや、うちで休んでいけ」

 男が間髪入れず「けっこう」と答えた。少し怒ったように。誰の世話にもなりたくないのだ。一人で生きていくと決心してるのだ。自分という人間の、別の側面を見ているようで、分かる気がした。

 私は、なんだか、すごく悲しくなってきて、どうかこの青年に、昨日自転車に乗っているときに感じたような、さわやかな風が吹きこみますように、と願った。

 一方、間髪を入れずに断られたヒロシさんは、私の方を見ながら、頭の上で人差し指を回転させた。声を出さず、口だけで「こいつ、クルクルパーや。」と言ってる。

 そのまま、手を振って、ヒロシさんに別れを告げた。歩みの遅いゴミ箱の青年を追い越して、歩きはじめた。2日間しっかり休んだので、体は軽い。

 ヒロシさんは、この先も、あーやって、通り過ぎていくお遍路さんを引き留め続けるのだろう。

 どうかヒロシさんにもまた、さわやかな風が吹き続けますように、と願っていた。