痛風の朝、再び
朝起きたら左足の甲が痛かった。
再び痛風の朝が来たのだ。
あーたーらしーいーあーさがきたー痛風のあーさーだ♪
前回の痛風発作からそんなに経ってないので今回は、いつ捻挫したんだろう、とか愚かなことを考えなかった。すぐに痛風発作だと分かった。
ここ1カ月、かなり自由に飲食してた。1週間ほど毎晩ワインを飲んでいたときもあったし、好き放題食べまくってもいた。禁断のスナック菓子にさえ手を伸ばしていた。リングフィットアドベンチャーがあるから、いくら飲もうが食べようが大丈夫という安心感があった。確かに太りはしなかったが、痛風のことをすっかり忘れていた。
おなじみの、足をひきずりながら歩く姿を見て、妻が察する。
「痛風やなあ。」
「うん。今日の清掃行けそうにないわ。ロキソニン飲んで寝る。」
その日は朝から町内の一斉清掃があった。みんなで遊歩道や公園やらを掃除する。妻に「町内の人に聞かれたら、仕事が忙しいと言ってほしい」と頼んだ。痛風で行けないというのが恥ずかしかった。
痛風がつらいのは、むちゃくちゃ痛いくせに、同情に値しない病気であるという点だ。ぜいたく病、痛風。「痛風で休みます」なんて言えるわけがない。「食いすぎ飲みすぎで休みます」と言ってるようなもんだ。
10年前、はじめて私が痛風になったとき、ちょうど北朝鮮の将軍様も同じ病気にかかられた。国民の大半が飢えている国の将軍様が痛風。テレビの中で、何も知らない国民がインタビューに答えている。「ううう、足をひきずりながらも、将軍様は私たちのためにがんばっていらっしゃるのです。」涙ながらに語る様子を見て、日本の誰もが噴き出していた。私は穴があったら入りたい気持ちだった。足の痛みをこらえながら、この病名を人前で絶対に言ってはならないと心に誓った。
「わかった。うまくごまかしておくね。」妻が、ほうきとちりとりを持って町内の清掃に出て行った。
ロキソニンを飲み、しばらく絨毯の上で横になっていたら、玄関の方から物音がした。清掃に飽きて、娘2人が戻ってきたらしい。ダダダとこちらの方にかけてくる。
「あれーパパ、おそうじ行かないの?」
「うん、足痛いねん。」
「ふうん。」
「だから、そうじは行けそうにない。」
「そう。じゃあ、そうじのあと、パパの分のビール持って帰ってきてあげる。」
町内の清掃に参加すると飲み物がもらえるのだ。
「い、いや、ビールはいいよ。ビールのせいで足痛いから。パパの分の飲み物は、2人が好きに選んだらいいよ。」
「本当に?」
「うん。」
「やったー。」
2人とも喜びながら、再び外に飛び出していった。彼女たちはいつも朝から非常にテンションが高い。外でキャッキャとはしゃいでいる2人の声が、中にいてもはっきりと聞こえてくる。
「パパ、足痛いからいけないんだってー。」
「ビールのせいだってー。」
大声で叫んでいるのが聞こえてきた。
しまった。
肝心な口封じを忘れていた。
1時間ほど経って、妻が帰ってきた。
「掃除ありがとう。おつかれさま。」
上半身だけ起こして、迎える。
「ごめん、痛風ごまかせへんかったわ。2人が言いふらしてた。」
「・・・みたいですね。聞いてました。」
なんかもう、嘘をつこうとした私が悪かったです。
私は自己管理のできない、飲みすぎ食いすぎの、ただの豚です。
すいませんでした。
とりあえず、これを飲んでみる。