かにみそなまこをつまむ。

40代男子の日常、昔の思い出などについて、現在休載中

痛風の朝、再び

 朝起きたら左足の甲が痛かった。

 再び痛風の朝が来たのだ。

 あーたーらしーいーあーさがきたー痛風のあーさーだ♪

 前回の痛風発作からそんなに経ってないので今回は、いつ捻挫したんだろう、とか愚かなことを考えなかった。すぐに痛風発作だと分かった。

 ここ1カ月、かなり自由に飲食してた。1週間ほど毎晩ワインを飲んでいたときもあったし、好き放題食べまくってもいた。禁断のスナック菓子にさえ手を伸ばしていた。リングフィットアドベンチャーがあるから、いくら飲もうが食べようが大丈夫という安心感があった。確かに太りはしなかったが、痛風のことをすっかり忘れていた。

 おなじみの、足をひきずりながら歩く姿を見て、妻が察する。

痛風やなあ。」

「うん。今日の清掃行けそうにないわ。ロキソニン飲んで寝る。」

 その日は朝から町内の一斉清掃があった。みんなで遊歩道や公園やらを掃除する。妻に「町内の人に聞かれたら、仕事が忙しいと言ってほしい」と頼んだ。痛風で行けないというのが恥ずかしかった。

 痛風がつらいのは、むちゃくちゃ痛いくせに、同情に値しない病気であるという点だ。ぜいたく病、痛風。「痛風で休みます」なんて言えるわけがない。「食いすぎ飲みすぎで休みます」と言ってるようなもんだ。

 10年前、はじめて私が痛風になったとき、ちょうど北朝鮮将軍様も同じ病気にかかられた。国民の大半が飢えている国の将軍様痛風。テレビの中で、何も知らない国民がインタビューに答えている。「ううう、足をひきずりながらも、将軍様は私たちのためにがんばっていらっしゃるのです。」涙ながらに語る様子を見て、日本の誰もが噴き出していた。私は穴があったら入りたい気持ちだった。足の痛みをこらえながら、この病名を人前で絶対に言ってはならないと心に誓った。

 「わかった。うまくごまかしておくね。」妻が、ほうきとちりとりを持って町内の清掃に出て行った。

 ロキソニンを飲み、しばらく絨毯の上で横になっていたら、玄関の方から物音がした。清掃に飽きて、娘2人が戻ってきたらしい。ダダダとこちらの方にかけてくる。

「あれーパパ、おそうじ行かないの?」

「うん、足痛いねん。」

「ふうん。」

「だから、そうじは行けそうにない。」

「そう。じゃあ、そうじのあと、パパの分のビール持って帰ってきてあげる。」

 町内の清掃に参加すると飲み物がもらえるのだ。

「い、いや、ビールはいいよ。ビールのせいで足痛いから。パパの分の飲み物は、2人が好きに選んだらいいよ。」

「本当に?」

「うん。」

「やったー。」

 2人とも喜びながら、再び外に飛び出していった。彼女たちはいつも朝から非常にテンションが高い。外でキャッキャとはしゃいでいる2人の声が、中にいてもはっきりと聞こえてくる。

「パパ、足痛いからいけないんだってー。」

「ビールのせいだってー。」

 大声で叫んでいるのが聞こえてきた。

 しまった。

 肝心な口封じを忘れていた。

 1時間ほど経って、妻が帰ってきた。

「掃除ありがとう。おつかれさま。」

 上半身だけ起こして、迎える。

「ごめん、痛風ごまかせへんかったわ。2人が言いふらしてた。」

「・・・みたいですね。聞いてました。」

 なんかもう、嘘をつこうとした私が悪かったです。

 私は自己管理のできない、飲みすぎ食いすぎの、ただの豚です。

 すいませんでした。

 

とりあえず、これを飲んでみる。