かにみそなまこをつまむ。

40代男子の日常、昔の思い出などについて、現在休載中

エクソシスト

 昨夜妻と映画の話をしていて、エクソシストおもしろかったなあ、と言い合っていた。昔のホラーは、映像のグロテスクさに頼るんではなくて、プロットそのもののおもしろさ、怖さがあったとか、そういう話をしてた。ら、横で聞いてた長女が、「どんな話?」と聞いてきたので、簡単に説明すると、すっかり震えてしまった。人に悪魔が乗り移るというところが怖かったのかもしれない。

 怖い、怖いと落ち着かず、じっと考え込んでる様子。そういえば自分もこれくらいの小学校低学年のころ、怖い話が尋常じゃないくらい怖かったなあ、と思い出した。

 しばらくして長女が「悪魔なんて、おらへんやんな?」と聞いてきた。うーん、と私は考えた。

 ここで「おらへん」と答えるのは簡単だが、それで怖さは終わるのだろうか。「悪魔なんていない」と大人が言っても、まだ何か怖い感じがするなら、それは「いる」ことの証明ではないか。そして、その「いる」は、大人に理解してもらえない、本当の悪魔のはじまりなのではないだろうか、と。

 キリスト教の信仰に対するひずみが生み出した精神病だとか、科学的なとらえ方をしても、心に宿る悪魔を「ない」というのも違う気がする。物理的に存在しないことが「ない」ことではない。悪魔という言葉や概念は実際に「ある」し、どんな原因であれ、見える人には見えるのだから。

 ちょっと考えてから、「うん・・・目には見えんけど、おるよ。」と答えた。「ただ、おると思えばおるし、おらへんと思えばおらへんから、もっと目に見えない中でも、いいものの方を思えばいいんじゃないか。」と提案してみた。「神様とか、天使とか、座敷童とか。」

 それでも、まだ長女は府に落ちない様子ので、ネットで「怖いとき どうする」と検索したら、「猫の動画を見る」という答えが出てきたので、いっしょに猫の動画を見た。いたずらする猫、しゃべるように鳴く猫、ちゅーるを食べる猫。長女の表情がみるみる明るくなっていく。すごいぞ、インターネット。

 悪魔祓いには、猫が効きます。