かにみそなまこをつまむ。

40代男子の日常、昔の思い出などについて、現在休載中

スナック菓子

 スナック菓子が好きだ。 

 高校生のころ、はじめて母から、まとまった額のお小遣いをもらった。5000円。大金だった。何に使おうか、散々迷った挙句、全てを駄菓子に費やした。5000円分の駄菓子を買うのは楽しかった。スーパーの袋をいくつももぶらさげて出ていく高校生のころの私。店員さんは、これから私が友達とわいわいすると思っていたにちがいない。家に帰って、押し入れに5000円分の駄菓子をつめこんだ。押し入れの扉をながめながら、ニヤニヤしていた当時の私は、もちろん、ぼっちの陰キャである。

 好きだが、あまり食べないようにしてる。中毒性があるので、一度食べると癖になってしまう。これ以上、太りたくない。尾崎豊の十五の夜のメロディーに乗せて歌いたい。とにかくもう、会社や家では、太りたくないー♪

 金曜日の夜、開放感にあふれたまま、コンビニにワインを買いに行く。同時にスナック菓子も買ってしまいそうになる。「ちょっとだけだから」と言い訳する小さな私を、私というだらしない人間の歴史を知っている大きな私が、必死で止める。「ちょっとだけですまないから!」

 家に帰って来て、週末の開放感のまま、ワインの蓋を開ける。平日はなるべく飲まないようにしてるから、ぐいぐい飲んでしまう。あっという間に出来上がる。

 おつまみがほしくなり、冷蔵庫や収納庫をあさる。私という人間の歴史を知っている大きな私は、もう出てこない。アルコールには二フラムのように、大きな私を消し去ってしまう力がある。おつまみが見つからないと、コンビニに行ったときなぜスナック菓子を買わなかったのか、後悔しはじめる。小さな私は、ごそごそと探し続ける。

 そんなとき、娘たちのお菓子が見つかることがある。

 娘たちは放課後1時間ほど、学童に行ってる。学童では毎日お菓子が出る。キャベツ太郎とか、チロルチョコとか、うまい棒とか。20円~30円くらいの駄菓子。2人とも、それを食べずにいつも持って帰ってくる。たまに、ランドセルからぐちゃぐちゃのプリントとともに、ぺしゃんこになった駄菓子も出てくる。「食べてきたらいいのに」と娘に言う。

 それが、食器棚か冷蔵庫か、収納庫のどこかから出てくることがある。見つかったら、ラッキーと小躍りしてる。ふだん「食べてきたらいいのに」とか言ってるくせに、かなり喜んでる。

 情けない私。

 

 

 

歩き遍路の思い出⑲ ゴミ箱の青年

 次の日の朝、「出発する」と言うと、「雨が降ってるから、もう1日泊っていけ」とヒロシさんに言われた。ヒロシさんは朝からビールを飲んでた。黒川さんも「あー、ん、おったらええ」と言う。分かってるのか、分かっていないのか、よく分からない。少し考えたあと、まあゆっくりするのもいいかもしれないと思い、甘えることにした。

 目的に向かって歩き続ける毎日だったから、急にすることがなくなって、時間を持て余した。

 午前中は、ヒロシさんとしゃべったり、ゴロゴロしたりしてたが、どうにも暇で落ち着かない。お遍路に出る前の、実家でゴロゴロしていた感覚がよみがえってくると、急に罪悪感に襲われ、焦燥に駆られた。こんなことをしてる場合じゃない、動かないと。もちろん、歩きはじめたからといって、根本的にニートであるという事実は変わらない。が、目的に向かっているという安心感がある。

 昼になって、雨があがった。ヒロシさんに「次の寺に行きたい」と言ったら「自転車、貸したる」と返ってきた。なるほど、その手があったか。荷物を置いて、行って、また帰ってこよう。

 自転車を借りて、海岸沿いの道を走り出した。ずっと海が見えていた。断崖絶壁に波が打ちつけている。バックパックを背負っていないので、体が軽かった。

 速い!

 遠くの景色はじっとして動かないが、近くの木々や道路標識が、あっという間にすぎていく。自転車に乗って見る景色は、さわやかで、鬱陶しい気分を充分に晴らしてくれた。足摺岬の先端にある38番のお寺、金剛福寺。参拝をすましたあと、岬の遊歩道を自転車でうろうろした。太陽が差してきて、明るくなった。

 宿に戻ると、ヒロシさんが、ビールを飲みながら、マキを割っていた。「お風呂をわかしたる」らしい。申し訳ないので、私もいっしょに手伝った。火をおこすのが楽しかった。五右衛門風呂ではなく、普通の風呂釜だったが、マキでわかしたお湯はむちゃくちゃ熱くて、体がすごく温まった。

 その日の夜、黒川さんが自分の食べ物を分けてくれた。インスタントラーメンと、卵と、卵豆腐をもらった。食べ終わると、ヒロシさんの敷いてくれた布団に横たわった。3人で川の字になって寝る。

 「明日は行きますね。」と言うと、暗闇の中から「そうか」と小さな声が返ってきた。黒川さんはとっくに鼾をかいていた。

 3日目の朝、かなりゆっくりめに支度をして宿を出た。ヒロシさんが宿の前まで見送りにきてくれた。

 お礼を言って、歩き出そうとしたとき、何やらゴロゴロと引きずる音が聞こえてきて、ヒロシさんがふと、そちらの方を見る。若い青年が、カートの上に大きなゴミ箱をくくりつけ引っぱりながら歩いていた。

 白装束を着ているのでお遍路さんだと分かる。バックパックのかわりに、ゴミ箱を用意したのだ。あの中には、寝袋やテントがつまっているのだろう。

 ゴミ箱は真新しかった。どうやって旅をするか、考え抜いた挙句の結論が、あのゴミ箱なのだ。形は違えども、私のスリーシーズン用の寝袋も同じように考え抜いて、そうなった。冬用でいいのに、春、夏、秋用を選んだのは、旅の終わりが想像できなかったからだ。いつまでも、なるべく長く、旅の中で生活できるようにと、あのゴミ箱を選んだに違いない。年は、当時の私の少し上くらいだったろうか、眉間にしわが寄っていて、神経質そうな感じの青年だった。青年が宿の近くまで来ると、ヒロシさんがすかさず声をかけた。「どっから来たんや、うちで休んでいけ」

 男が間髪入れず「けっこう」と答えた。少し怒ったように。誰の世話にもなりたくないのだ。一人で生きていくと決心してるのだ。自分という人間の、別の側面を見ているようで、分かる気がした。

 私は、なんだか、すごく悲しくなってきて、どうかこの青年に、昨日自転車に乗っているときに感じたような、さわやかな風が吹きこみますように、と願った。

 一方、間髪を入れずに断られたヒロシさんは、私の方を見ながら、頭の上で人差し指を回転させた。声を出さず、口だけで「こいつ、クルクルパーや。」と言ってる。

 そのまま、手を振って、ヒロシさんに別れを告げた。歩みの遅いゴミ箱の青年を追い越して、歩きはじめた。2日間しっかり休んだので、体は軽い。

 ヒロシさんは、この先も、あーやって、通り過ぎていくお遍路さんを引き留め続けるのだろう。

 どうかヒロシさんにもまた、さわやかな風が吹き続けますように、と願っていた。

 

歩き遍路の思い出⑱ ヒロシさんと黒川さん

 お遍路さんが泊まらせてもらえる善根宿や通夜堂は普通誰もいない。でも、中には管理している人がいるところもあった。前回の心霊体験と話は前後するが、まだ高知を歩いていたとき、そんな善根宿でお世話になったことがあった。

 心霊体験に苦しめられていたころで、精神的にまいっていたころでもあった。

 歩くのをやめ、とある海岸でぼんやりと海を眺めていた。そこは、冬なのにサーフィンをしている人たちでにぎわっていた。ウェットスーツを着て、海から頭だけを出して波を待っているサーファーたちは、遠くから見ると、アザラシの群れのようだった。

 旅も20日を過ぎていた。憂鬱だった。このまま歩き続けて、全ての寺を回り終えたところで、いったい何が生まれるのか。社会の中で仕事を持たず、何者でもなかった私は、不安と孤独を抱えていた。

 後ろから、ぼそっと声をかけられて、振り返った。60歳くらいだろうか、背の低いじいちゃんがニコニコと笑っている。

「お遍路さんやろ。うちにおいで。うちで泊まり。」

 汚らしい格好で、ザックを背負っている。私と同じお遍路さんだと分かった。

 でも、まだ昼過ぎだった。まだまだ歩ける。即座に断った。

「いえ、いいです。」

「まあ、まあ、泊まり。ごはんもあるし、風呂もある。」

「いえ、まだ歩けますから。」

 何度も断ったが、じいちゃんはそれ以上何も言わない。会話にならなかったので、困った。どうしようか。

「いいんですか。」

「ええよ。」

 ニコニコ笑ってる。

 歩けるけど、本当はもう歩きたくなかった。つかれきっていた。

 

 じいちゃんに着いて行った。

「どこから来られたんですか。」

「宿はどこにあるんですか。」

 背中ごしにいろいろ語りかけたが、じいちゃんは何を訊いても「あー。」「ふん。」「へえ。」などとうなずくばかりで、全く会話にならなかった。途中で質問するのをあきらめて、ただ黙って着いて行った。どういう人なんだろうか。なぜ誘ってくれたんだろうか。

 善根宿と思しき建物が見えてきた。ボロボロの山小屋のような建物だった。建物の外で管理人のような人が、マキを割っていた。じいちゃんと私を見かけると、マキを割る手を止めて

「おー、おっさん、連れて来たんかー。」と言った。

「あー。」じいちゃんがよく分からない返事をした。

 横で首をかしげていると、管理人さんが「このおっさん、ボケとんねん。」と私に向かって笑った。「もう2か月くらいここで泊まっとる。」

 あーそういうことだったのか、と納得したが、では、さっき私に声をかけてくれたのは一体何だったんだろうと、不思議に思った。あのときは、はっきりと意志のようなものを感じた。

 管理人さんは、40歳くらいのおじさんで、ヒロシ(仮名)という。じいちゃんの方は黒川(仮名)というらしい。ヒロシさんは目が細くつりあがっていて、見た目は怖そうだが、表情にしまりがなく、お人よしそうな性格がにじみ出ていた。かなり口が悪く、始終何かに向かって暴言を吐いていた。でも、言葉とは裏腹に、すごく世話をやいてくれる。自転車を貸してくれたり、風呂を沸かしてくれたり、布団を敷いてくれたりした。

 夜になって3人でごはんを食べた。暖炉の火が暖かい。ヒロシさんは、お遍路について、暴言を吐きつつ、いろいろおもしろい話を聞かせてくれた。

 

 お遍路さんには3通りいるらしい。まずは、私のような普通のお遍路さん。次にホームレス、そして、プロ遍路。

 ホームレスは大阪からやってくるらしい。大阪の路上や公園で生活するより、四国で白装束を着ていた方がお接待にありつけるという理由で、お遍路もどきの生活をするのだという。お寺には参拝しないのだとか。また、冬は寒いから動かないらしい。近くの橋の下に、お遍路もどきホームレスの、冬のたまり場があると、ヒロシさんは毒づいていた。

 さらに、お遍路には、お接待で物品を得ることを目的としたプロもいるという。「あいつらニコニコ愛想だけよくて、感謝もせんと、全部とっていきよるからな。」ヒロシさんが怒っていた。詳細はよく分からないが、なんだか、よっぽどひどい目に会ったのだろう。ホームレスとプロ遍路の違いがよく分からなかったが、後者は物を盗むのかもしれない。「特に、シンイチって奴は要注意や。自分も覚えといた方がいいで。」

 

 そのときは気にも留めなかったが、後日この「シンイチ」という名に会った。

 基本的に無人の善根宿には、たまに自由帳が置かれてあって、宿を借りた人の寄せ書きが残されている。宿に泊まったとき、ペラペラ眺めることがあった。お遍路での苦労話や、お接待への感謝、自分の悩みについてなどが書かれていたが、その中に「シンイチ」の書き込みがあった。こんなやつ。

「今日もたっぷりお接待いただきました~ プロ遍路シンイチ」

 太いマジックで書かれていて、名前の横にサインのような似顔絵が添えられていた。ヒロシさんの話を聞いているとき、なぜプロ遍路というのか、意味が分からなかったが、自分で名乗っていたのだ。こいつはかなりできあがっているな、と思った。

 

 ヒロシさんと黒川さんの会話がおもしろかった。ヒロシさんは、相手の反応おかまいなしに、しゃべり続ける。黒川さんは何を言われても、「んー、ああー。」とニコニコ笑いながら返す。たまに、思い出したように単語を発するが、正直何を言ってるのか分からない。一方的にしゃべる人と、何もしゃべらない人。まったく会話になっていないのだが、おもしろい関係だなあと眺めていた。黒川さんが来てから2か月間、毎晩こんな感じなのだろう。

 昼、私を誘ってくれたときの黒川さんが、ますます不思議になってきた。あのときは、たしかにまともにしゃべっていた。

 この謎は18年経ったいまだに、解けていない。

 ただ、あの瞬間の私は疲れ切っていて、憂鬱で、孤独で、不安で、あのとき、黒川さんに誘われて、夜3人でごはんを食べて、本当に安らぎを覚えた。

 ひょっとすると、本物の仏様に出会っていたのかもしれない。