かにみそなまこをつまむ。

40代男子の日常、昔の思い出などについて、現在休載中

歩き遍路の思い出⑪ 海を渡る2

 元日の朝早く、杉田さんが迎えにきてくれた。もう1人私と同じ年くらいの青年を連れてきていた。杉田さんの会社のスタッフかなと思ったら、お客さんだという。青年は山田(仮名)と名乗った。杉田さんのツアーに何度も参加しているらしい。今日はタダでカヤックに乗れるからと、お接待の手伝いに来たのだそうだ。3人で遊んだあと、戻って来て、ロッジまで森さんを送ると言った。本当にお接待とはいったい何なのだろうか。

 1人廃バスに残った森さんに見送られ、3人で軽自動車に乗りこんだ。カヤックが置いてある砂浜まで向かう。

 浜辺には、何艘かのカヤックが置かれていた。杉田さんから簡単な説明を聞いた後、それぞれのカヤックを波打ちぎわまで運んだ。サーフボードより細長い形の中央に、人が乗り込む穴が開いている。先に乗り込んだ杉田さん、山田さんの乗り方を真似して、思い切って乗り込んだ。はじめグラグラっと揺れたが、船の中にお尻をつくと、すぐに安定した。

 両側に水かきのついたパドルを使って、漕ぎ出す。波打ち際から離れると、波もましになって、ぐんぐん前に進むようになった。おお、なんだこの感覚・・・。

 徳島の海は、思いのほか、きれいで透き通っていた。進むのがおもしろくて、しばらく夢中になって漕いだ。

 ひゃっほううううう。

 水平線を眺めながら、波を越え、波を越え、波を越える。パドルの先の水しぶきが、元旦の太陽に照らされて光っている。私はお遍路さんであることを完全に忘れ、ただの冒険野郎と化していた。前に杉田さんと山田さんの背中が見える。2人はさすがに余裕で、パドルを操りながら、時折談笑していた。

 杉田さんが、私の方を振り返って、「どー楽しんでるー?」と叫んだ。「すっごくー楽しいですー。」と私も叫び返す。「いいお接待やろー。」「はいー。すばらしいお接待ですー。」カモメが、アーアーと鳴いていた。

 その後、海のいろんな場所に案内してもらった。断崖絶壁の近くを通ったり、洞窟の中に連れていってもらったりした。後々振り返ると3時間ほどカヤックを漕いでいたことになるが、あっという間に目的地に着いた気がした。

 カヤックから降りると、長い間座っていたせいか、足元がふらふらした。しばらく放心していた。心を開放しきって、頭がからっぽになっていた。

 その日は、杉田さんのロッジに泊まらせてもらった。何から何までいたれりつくせりだった。山田さんが森さんを迎えにいき、しばらくして森さんが合流した。山田さんはそのまま帰った。

 ごはんを食べながら、杉田さんと森さんの3人でしゃべった。杉田さんは、なぜお遍路をしてるのとか、そんな質問は全然しなかった。ただ自分の夢を語った。廃墟のようなこの場所を、これから復活させたいと言ってた。泊まらせてもらっているロッジは、元々リゾート施設だったようだ。そういえば来るとき、草がぼうぼうに生い茂ったテニスコートなんかを見かけた。

 夜も更け「出発するとき、鍵をポストに入れておいて。」と言い残して、杉田さんが帰っていった。森さんと2人きりになると、森さんはすぐに寝てしまった。

 私はなんとなく眠れず、一人起きていた。明かりの消えた部屋の中で、壁にもたれ、昨日、今日のことを思い返していた。

 すごくいい大晦日で、すごくいい正月だった、はずだ。なのに、料理を運んできてくれたおかみさんや、杉田さんの笑顔を思い出すと、罪悪感で胸の奥が疼いた。

 見ず知らずの私に何の価値があったのだろう。ここまで優しくされる資格があったのだろうか。もちろん、精一杯受け止めようと、応えようとしていたけど、私はきちんと笑えていただろうか。楽しんでいただろうか。うまく感謝を表現できていただろうか。笑ったふりをしていただけじゃないのか。楽しんだふりをしていただけじゃないのか。感謝しているふりをしていただけじゃないのか。

 心の奥底で、罪悪感がしこりのように凝り固まっていた。そこに触れると、自分がすごく嫌なやつに思えてきて、にわかに消えてしまいたい気持ちに襲われた。森の中のロッジなので窓の外は真っ暗だった。闇の気配に耳を澄ませながら、私は、私という非常にめんどくさい人間と向き合っていた。